カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

映画『15時17分、パリ行き』で描き出されるヒーローはベタなのかネタなのか?

3月11日に映画1517分、パリ行き」を観てきた。わたしは、過去のことを思い出しながら観た。

wwws.warnerbros.co.jp

まずこの映画、短い。さすがイーストウッド監督、90分間ムダなくいろんな感情をわきおこしながら、走り抜けていく。列車の疾走感が全編通じてあった。

ミスフィットな子どもたち、レッテルを貼ってすぐに排除しようとする学校。
母親たちが、一貫して子どもを愛しているのがよかった。

ラストシーンでは報われた。
要領わるくて、頭もいいとは言えない。それでも、「平和の礎」になりたい、人を救いたいという思いを失わずに大人になって。平凡でささやかな、「善をなせ」という責任感。ヒーローと呼ばれるのが、とてもくすぐったそうな3人だった。

わたしは高校生の時にアメリカに留学していた。空気感(主人公3人のうち2人は従軍している)がわかる部分がある。

アメリカの公立高校には、授業で軍に入るためのプレクラスみたいなものが選択できた。ある日突然クラスメイトが軍服を着て教室に入ってきて授業を受けているから、「どうしたの?」と聞くと、「今日はアーミークラスがあるから」という。
「卒業後自分がアーミーに入るから今からクラスをとっているんだ」と答えた。

アメリカでは、大学に行く学費を稼ぐためにまず軍に入って数年間軍務に服して、それから退役して進学したり、仕事をしたりする人がいて、そういうキャリアコースを学校でも勧められたりする。
友達と話していて、すごく軍に入りたいわけではなくて家庭の経済状況からやむなく、という感じも感じたりした。

日本人にはわからない感覚だが、学校に軍のポスターが貼ってある。進路の1つとして軍がある。
だから、この映画の主人公たちも、使命感に燃えて軍人をやっているわけでもない。だが、結果的に居合わせた場面で、行動ができてしまった。映画は、「なぜ彼らが行動できたのか?」を謎解きするような構成で作られている。時に、聖書の文句を引用するシーン、子どもの頃の夢や挫折、訓練中の向こう見ずな行動をとるエピソードなどが挟み込まれている。

だが、そのエピソードのひとつひとつが「軽い」のだ。どこにでもありそうなごく平凡なできごとに過ぎず、観る者に強い感興をひきおこすことがない(そういう演出になっている)。

イーストウッド監督は、「平凡さの中にある勇気は、このような日常や人生から生まれるのだ。彼らこそが真のヒーローだ」とベタに主張しているフリをして映画もそのようにプロモーションしながら、「人は意外と根拠もなく、深い意味もなく、自己犠牲ができてしまう。ヒーローなんていない。それはすべて巡り合わせのようなもの」という達観した人間観を実は主張している印象を受けた。

この映画がすごくリアルなのは、平凡さを平凡なままに描いているところだ。あえて、事件の当事者たちを本人役としてキャスティングしたのも、プロの役者が「うまく」「感興をひきおこす」ように演じて欲しくなかったからじゃないだろうか?

つくづく凄い監督だ。。。

P.S.
わたしの友達が一番ドキッとするのは、映画の冒頭に出てくる小学校でのカウンセラーとの面談シーンだと思う。子どもを信じてカウンセラーに反論する母親たち。親たるもの、こうありたいと思ったね。