カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

未解決の課題に取り組む存在は自らの負担で社会実験を行ってくれている。行政は敬意をもって注目し、次のフェーズに進む支援をすべき。

わたしは仕事をしていて、いつも思うのです。

解決できることは既に解決されている。今残っている課題は、難しくて、未解決のものばかりだと。だから、カンタンに「スッキリ!」といかないのは当然だ。

まあ、辛い時のなぐさめなんですけどね。

lessorさんの記事をシェアします。

lessor.hatenablog.com

記事を読んでわたしが感じたことを書きます。

脚光を浴びている存在は影をつくる。
人には感情があるから、自分と比較して、うまくやっているようにみえる団体を指して、「ファンドレイジングだけ上手だ」とか、「おしゃれNPO」だとか、揶揄しがちだ。批判は大切だ。本質を外している(自ら目隠しをしてしまっているように見える)活動も時には目につく。
だが、外形だけをとらえて、「やっていることの価値」そのものをおとしめることはやめたほうがいい。
それもまた大切な試行のひとつだからだ。人が持つエネルギーは有限だ。何がうまくいくかいかない課題に対する試行は「多産多死」となる。担い手は多いほどよい。

ニーズに対して、気がついた人が実際に活動をして「先例」をつくり、成功事例として行政に採り入れられていく。この経路は昔も今も変わらない。

最大最強の非営利組織である行政は、柔軟に、民間の取り組みを認めることを誤らないようにしなければならない。なぜなら、それはこれから行政が進むべき先を示しているかもしれないからだ。
今の時代に解決されていない課題は、まだ誰も最適解を知らない。だから、気づいた人が、様々な試行をくりかえさないと進むべき道は見えてこない。
行政は、民間が「身銭を切って、ボランティアで、課題解決に取り組んでいる」ことに敬意を払うべき。今、実現している福祉の制度は、まず当事者と支援者たちが自らやってみて、必要性と実現可能性を証明したものばかりです。

行政は、あとをついていっている。だからこそ、敬意と細心の注意を払ってアンテナを張り、「施策に採用できるものはないか?」「さらに試行ができるように補助できるものはないか?」を積極的に探す、そういう姿勢が必要だと思います。
有意の人や組織のやる気をくじく、など、もってのほかです。