好き嫌いが激しかった。
世の中のものは、好きか嫌いのどちらかしかなかった。
そのうち「どちらでもない」が増えてきた。
アンケートの選択肢で表すと
好き ー どちらでもない ー 嫌い
で、大体すんできた。
そのうち、はっきりとした「好き」と「嫌い」が減ってきた。
特に「嫌い」が減った。多くのものが、あえていうなら「どちらかといえば嫌い」ぐらいになった。
好き ー どちらかといえば好き ー どちらでもない ー どちらかといえば嫌い ー 嫌い
思えば、この頃は余裕がなくて、選り好みというか、選ぶこと自体がめんどうになっていた気がする。「どうでもいい」だったんだと思う。
好き ー どうでもいい
の2択みたいな。丁寧な生活とは真逆だった。
近ごろは、ますます「嫌い」が減る傾向にある。いっときの余裕のなさをくぐり抜けて、おだやかな暮らしのなかで。
たとえば、シャワーは好きだが、湯舟はあまり入らない。かといって「湯舟に入ることが嫌い」と言うのはしっくりこない。「すすんでは湯舟に入らない」だけだ。「嫌い」ではない。同じく、自分はみかんをすすんでは食べないが、「嫌い」なわけではない。「どうでもいい」ともちがう。湯舟について、みかんについて、よくわかった上で「すすんではしない」。そういうものが増えた。
「好き」と「嫌い」の間に幅が広がっている。あわい(間)を生きるかんじ。
好き嫌いが激しかったのは、「好き」「嫌い」の二分法で暮らしていたから。それは若さゆえだった。そう思うと少し恥ずかしく、懐かしい。