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映画「君たちはどう生きるか」考察めいた感想

『君たちはどう生きるか』観てきました。
よかった!楽しめた!画像公開の前に、予備知識なく観られて感謝。みんなありがとう!!
 

写真の下はネタバレありの感想です。

君たちはどう生きるか ポスター
神話(イザナミイザナギ)のような、地獄(黄泉の国)巡りだと思って観ていた。
地獄といっても、色彩鮮やかで、おかしみにあふれているのだけれど。僕は、とにかくこの地獄の描写が好きだ。
 
ストーリーは、少年(男)が、「女」「少女」「母」を探して、地獄に迷い込み、救い出す(救い出したのはだれ?)もの。その間に、一度死んで生まれ変わる「復活」(再び生まれ直す)のモチーフが用いられている。
 
「母となる人」が「あんたなんか大嫌い!!」と言い放つシーンが素晴らしい。「良き母であろうとする建前」をぬぎ捨てた「女性」が現れていた。女の真情に向き合って、初めて、ヒロイックな義務感で探していたに過ぎなかった主人公が、「母となる人」を失うことが確定的となって、初めて「母」と呼ぶ/呼べる。(「母」を選び取る=生まれ変わり)
 
また、ラスト近くで、実母が「あなたはいい子ね!わたしは、あなたを産みたい」とあっけらかんと言い切るところは、反出生主義に対する「生命は、次の生命を、身勝手な欲望でもって、(だがしかし)強い意志を込めて産み出すのだ」というメッセージに聞こえた。
 
(書いていて思ったのが)主人公(男)は、役に立っているのかいないのか? 実はあんまり影響を与えられていないんだよね。このことは「お産」の暗喩に思える。
 
その角度から眺めてみると、この映画は、「母になる」のを見ている、一部助けている(「一部」とはいえ必要不可欠ではある)「男」の(一見無意味な)存在と(過剰な思い入れで空回りする)行動を描いて見せている(特に主人公の父親が誇張された表現となっている)。
 
一方、男(大叔父)から男(主人公)へのバトンタッチはうまくいかない。大叔父がつくりあげた世界は、加工された石の積み木(人工物)だ。そこでは「掟」が秩序をなし世界を成立させている。人工物を引き継ぐのに「血筋が必要だ」なんていう矛盾したことをのたまわってしまうのも男(系王権のよう)だ。その世界を崩壊させたのが、「勇ましく誇り高き」インコの王(男)なのも必然なのだ。
 
主人公の命を助けるのは女(キリコ、ヒミ)で、食べ物をとり(キリコ)、火をおこすのも女(ヒミ)、迷宮を案内し出口まで連れていくのも女(ヒミ)だ。
アオサギは役に立たない男の象徴(嘘つきで無責任。ひとをだます。サギだけに)。
 
観る者が男であれば、鏡を見せられて、「生命を生み出す」「生命を次へ繋いでいく」責任の自覚を促されているのかもしれない(無力であることを自覚せよ。無力だからこそ努力せよ、と)。そう僕は感じた。
 
 
あと、ちっちゃな伏線として、実母が小さい頃神隠しにあって1年後に戻ってきた(何も覚えていなかった)話とつながって、なーるほど。
 
というのが観た直後の感想です。素晴らしかった!
 
数ある映画評でもっともうなずいた記事はこちら。小松原織香氏の考察です。