カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

だってしょうがないじゃない

plus-handicap.com

障害を持つ姉がいる大学生が「ちづる」の上映会を開催した。その大学生へのインタビュー記事です。
いろいろな気持ちがわいてくるのですが、ラストで、「自分が障害を負ったらどう思うか」「自分の子どもに障がいがあったらどう思うか」という質問(センシティブな質問だと思うのですが…)を受けての、湯浅さん(大学生)の言葉が心に残りました。

 湯浅さん:
ただ、諦めることも大事なのかもしれないなって思います。ちょっとズレちゃうかもしれないんですけど、大学受験どんなに失敗しても生きられるし、就活にしても全部落ちても死ぬまでのことじゃないなって。どこかしらで、諦めみたいなのは生きていく上で必要なのかなって思うんですよね。

 

この感覚、すごくわかります。想像すると──

生まれた時から姉には障害があった。家族として当たり前に育って、暮らしてきた。でも、ある時「ちがい」に気づく。その時から葛藤の日々が続いたかもしれない。それでも姉は姉だし、日常は続いていく──

能動的、積極的に「障害を受け容れる」というのとは違う。もっと受け身な「だってしょうがないじゃない」的な感覚。
それが、ここで語られている「諦める」ということじゃないかと思います。

 

【英語学習者におすすめ】Kindle本を自然な英語で読み上げる

おうち時間が増えて、英語学習を再開しています。以前から興味があったSkype英会話を始めて、とっても楽しいです。
そんな英語づいているわたしから、英語学習者向けのちょっとしたオススメです。

【英語学習者におすすめ】Kindle本を自然な英語で読み上げる

Kindleは読み上げ機能(Text to Speech)に対応しています。
英語のKindle本を買って、読み上げてもらえば、読書できて英語も学べる=一石二鳥だ!と思いました。
が、実際にiPhoneでやってみると、信じられないくらい下手くそな英語でしか読み上げられません。ローマ字読みをしているみたいな、発音もアクセントもでたらめ。「これは使えない!」と諦めかけたのですが、

「こんなおかしな読み上げを英語話者が許すわけがない。何か方法があるはず」と調べてみました。

すると、iOSの言語設定が日本語だと「英語読み上げがでたらめ」ということが判明。これをiOSのバグと書いている人もいましたが、Appleは直す気がなさそう。つまりは仕様なのでしょう。
そこで、普通はいじることのない、

設定>一般>言語と地域>iPhoneの言語
をEnglishに変更して、

 

実際に、Kindleで英語を読み上げさせてみると……

 

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REMOTE FIRST 第3章より

見事に自然な英語で読み上げられました!!!

 

副作用として、全てのアプリで(たとえばLINEとかも)システム表示が英語に変わります(日本語の会話はもちろん日本語もまま)。通知も英語。副作用と書いたけど、通知の英文とかは「こうやって英語で言うのね」と勉強になる。
唯一うっとおしいのは、文字入力の際に最初に英語キーボードが出てくるところ。いちいち日本語に切り替えるのが地味にめんどくさい。
(ちなみに、同期しているApple WatchiPhone設定を英語に変えると英語表示に変わります。)

英語学習者限定のTipsではありますが、英語にひたって学習意欲を高めるために、iPhoneの言語設定を英語にするのはオススメです。カンタンに日本語に戻せるからKindle終わったら切り替えるだけでいいしね♪

実際のやり方

(1)と(2)の設定をしてから、Kindleを表示した状態で画面上部から下に2本指でスワイプします。

(1)iPhoneの言語の設定を変更する

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(2)iPhoneの画面を読み上げさせる

support.apple.com

【知らなかった】「マイナンバー通知カード」は5月末で廃止

マイナンバー制度が始まった時に「あなたの番号はこれです」と届いたのが「通知カード」です。
マイナンバーカード取得までの「つなぎ」として「通知カード」を、例えば「運転免許証」と組み合わせて、マイナンバーの証明に使った経験はありませんか?
その「通知カード」が今年の5月末で廃止になるそうです。わたしは全然知らなかったのですけど、本当なんですね。

・たとえば、横浜市のページ↓

通知カード廃止(予定)について 横浜市

廃止以降どうなるか?

通知カード、これからも使う!場合

住民基本台帳の記載内容と通知カードの内容が一致していれば、引き続き、証明書として使える。←が、引っ越し(住所変更)や結婚(氏名変更)などして不一致になると証明書として使えなくなる。
【実際はどうなるかを想像すると、たとえば、引っ越ししたら運転免許証は書き換えますよね? マイナンバーの提出を求めた機関は、住所変更していない通知カードと変更済みの運転免許証を突き合わせて「不一致」だから書類不備ではねることになる。←今までも同じだけど、はねられてから「チキショー!」と言いながら通知カードの変更ができたが6月以降はできなくなる

・したがって、現時点で既に不一致が生じている人は、「通知カードの変更手続き」を今月中に役所でしておく必要があります。

もう通知カードは使わない!場合⇒マイナンバー証明書類は2択

  1. マイナンバーが記載された「住民票の写し」または「住民票記載事項証明書」を必要なときに取得して提出する。
  2. 観念して、マイナンバーカードを取得する(発行まで1か月〜1か月半以上かかるらしいけど)*1

コロナ禍で混乱している最中に、廃止を予定どおり行うのは大丈夫なんでしょうか?

政府は「マイナポイント*2を7月から始めるのに合わせて「通知カード」を廃止してマイナンバーカード取得をすすめる意図があったのかもしれませんが、ただでさえ、特別定額給付金*3(10万円)の関係で、役所の窓口は混雑していると思います。
通知カード廃止は延期が得策ではないでしょうか。

mynumbercard.point.soumu.go.jp

kyufukin.soumu.go.jp

*1:マイナンバーが必要なのは税関係と銀行口座開くときぐらいだから不要だ」とか様々な考えがあると思います。でも、障害者の場合、成人して障害年金や手当などの手続きをする際などマイナンバーが要求される機会がしばしばあります。それに備えてマイナンバーカードを取得するのは悪くないと思います。また、数少ない本人の身分証明書になる意味も大きいです。

*2:みんなマイナポイント事業が始まることなんて忘れちゃっているよね? 消費税率アップによる消費冷え込みを押さえるのとマイナンバーカード取得を奨励するための事業ですよ。こちらはマイナンバーカード取得が必要。

*3:特別定額給付金をもらうために、マイナンバーカードの取得は必須ではありません。市役所から郵送されてくる通知で手続きできます。念のため。

母の日 カイの母はだあれ?

母の日ですね。今朝のカイは「ははのひ」とつぶやいて、物知りたげな表情です。妻がおもしろがって「カイ君の母はだあれ?」とたずねました。すると、少し考えて、

「○○○○(妻のフルネーム)」を言いました。

「すごい! 母だとわかってるんだ!」とよろこんでいると、続けて

「◆◆◆(わたしのフルネーム)」を言いました。

ありゃりゃ。まあ、なんとなく親のことだとわかっていればいいよね。ハハがパパに聞こえるのかもしれないし」

こうして、色々なことに興味を示し、答えを求めてくるのは最近になってからです。成人してからも、少しずつ成長しているんですね!

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お母さん、おふくろ、ママ、いつもありがとう
 

こどもの日の記憶

こどもの日ですね。

カイはもう成人なので該当しないのですが、なにか思うところがあるようで今朝ニュースを見て「コドモノヒ!」「コドモノヒ!」と訴えかけてきます。

妻が「子どもはだあれ?」と聞くと、じっとして答えません(=答えを待っている)。妻も聞いてはみたものの答えに困って「子どもは赤ちゃん」と(苦しまぎれに)言うと、カイは「アカちゃん!アカちゃん!」とくり返して納得したのかそれ以上は追求せず。

子どもが成人しても、こどもの日の記憶はたのしく消えないものです。

写真はカイ10か月。はじめてのこいのぼり。

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障害があるなんて夢にも思わなかった頃。貴重な貴重な笑顔のショット。

「長い休み」が常態化すると

ゴールデンウィークになると毎年このカイパパ通信の過去記事をシェアしてきました。

kaipapa.livedoor.biz

  • 長い休みの間に、家にいて、わが子の様子を体感することで、「異常」の存在に気がつく父親
  • 妻に苦労をかけてきたことに気づき、支援機関に相談に行こうと決意する

このようなエピソードを描いています。

今年はコロナで3月から学校が休みとなり、このひと月は親たちも在宅となることが多くなりました。「長い休み」が常態化しています

長い休みが常態化することの辛い部分は?

子どもにとって

 ・乳幼児健診が中止されているため、障害の発見が遅れる。
 ・学校がないため、学校生活を通じた発見が遅れる。
 ⇒支援につながる機会が保障されない
 ・学校やデイサービスなど、家庭以外の居場所がなくなる。
 ・いつもの時間にいつもの場所へ行くルーティンが実行できなくなる。

親にとって

 ・子どもについて、専門家の支援が得られない。
 ・子どもの行動が理解できず、不適切な「しつけ」をしてしまう。
 ⇒子どものパニック多発、生活リズムが作れず、家庭が疲弊する。
 ・常に子どもが家にいるため、休息することができない。
 ・ルーティンを実行できず混乱する子どもを持て余してしまう。
 ・公的機関や親の会によるセミナーや相談の中止により、子育ての勉強、相談ができない。
 ・先輩親や支援者と巡り会う機会が奪われる。あるいは対面できないために、アドバイスをもらうことができない。
 ⇒子どもへの不適切な対応。最悪、虐待へつながる。

……。

良い面はないのでしょうか?

子どもにとって

 ・学校がないことで、安定する。
 【学校】不快な刺激に満ちている。環境整備がされていない。スケジュールが変化する。理解できず見通しが立たないまま振り回される。⇒強いストレスによる混乱。
 【家庭】刺激が少ない。環境は見知ったもの。決まったスケジュールを繰り返すことができる。
 これは子どもによっては実際にあることです。この意味を親としては考えないといけないですよね。

親にとって

 ・子どもと向き合う時間が増える。色々な気づきがある。
 ・環境を整えたり、子どもとのコミュニケーション方法をくふうしたり、試すことができる。
 ・夫婦で話し合う時間ができる。
 ・他の子と比べる機会が減る。⇒心の傷つきが減ります。

「良い面」について書いてみましたが、これはわが子の障害について親がある程度わかってきて、家庭での環境整備(構造化)が進んでいることが条件になります。

やはり「悪い面」が心配です。

今はネットに情報があふれています。でも、その情報がわが子に合っているのかどうかは経験者に見立ててもらわないと外れている場合が多い。そして、間違った対応をしてしまうと、子が混乱してさらに不安になる。家が暗くなり、夫婦仲も不穏になる。

コロナとの共生に対応して

長引くコロナ禍、「with コロナ(好きな言葉ではありませんが)」「コロナとの共生」なんてことも言われはじめています。リアルで集まることができる日がいつになるのか見通せません。
この状況が一時的終わるものでないのなら、わたしたちは考えなくてはなりません。

親の会にできること

親の会にできることで言えば、ウェブを通じた相談や茶話会、ちょっと背伸びしてウェビナー(ウェブを使ったセミナー)など、やってできないことはなさそうです。もしかしたら、今の親たちには新しいやり方(のほう)が抵抗なく受け入れられるかもしれません。

公的機関にお願いしたいこと

公的機関には、なんとか早く、乳幼児健診を再開していただきたいです。予約時間を細かくして、少人数にしぼる、回数を増やす、など、前例にとらわれず、知恵をしぼれば方法はありそうです。スマホを使った「LINEのテレビ電話を通じた家庭訪問」などもいいのではないでしょうか。医師によるオンライン診察が進められている今、障害の相談もオンラインで対応していただきたいです。

集団感染が発生した北総育成園の現在

3月28日に集団感染が発表された障害者入所施設「北総育成園」。病院には移送せず、施設そのものを病院化して療養させるというところまでは報道で知っていました。その後、どうなっているのか気にかかっていました。

mainichi.jp

北総育成園は、千葉県船橋市が設置し、社会福祉法人さざんか会(同市)に運営を委託。20~80代の知的障害者ら70人が入所する。3月27日までに15人が発熱し、検査結果を踏まえ県は28日に集団感染を公表した。感染者は入所者の7割以上にあたる51人、職員67人のうち40人、家族などを含めると118人に及んだ。福祉施設としては国内最大規模の集団感染となった。

現在の様子を毎日新聞が取材しています。
以下は報道内容の要約です。(購読者限定記事ですが読める方はぜひ全文をお読みください)

・施設の居住ゾーンをまるごと「レッドゾーン」(感染者が留まる、ウイルスが存在するゾーン)とし、障害のある入所者はこれまでどおりの自室に居住し続け、レッドゾーン内は自由に動ける。
・体育館を「クリーンゾーン」として対策本部を置く。
・居住スペースと体育館を結ぶ廊下や防護服の着脱場所を「セミクリーンゾーン」にして、感染者と濃厚接触した職員は、クリーンゾーンには入らないよう動線を分けている。
・非常に厳しい環境の中、応援職員を得て、近隣施設の協力によって食事も確保している。
・感染防護に必要な物資が不足し始めている。
・1日2回医療チームが入所者全員を回診している。

17日のミーティングでは、一部に発熱が続く入所者がいるものの、食事や水分はとれており、多くの入所者の症状が改善していることが報告された。集団感染が発生してから3週間となる19日、再度入所者に感染の有無を調べるPCR検査をする予定という。

重症化して命の危険がある人はいないようですね!
職員も感染して手が足りないなかで、障害のある人の特性に合わせて環境の変化をできるだけ少なくして、療養が行われています。それを知って、有り難いという思いとともに安堵しました。

海外では医療崩壊によってトリアージの必要が生じており、障害者は優先順位が低いとされている所があると聞きます……
日本では決してそのようなことが起きないように、感染症の拡大防止を力を合わせてがんばっていきたいです。

困難な中、障害者の生活を支援してくださっている北総育成園をはじめとする全ての支援者のみなさまに感謝と敬意を込めて。

 

感染者を断罪しない

前回の記事を書いてから69日が経ちました。

武漢がんばれ」と書いていましたが、いまや武漢は都市封鎖解除し、日本全国が緊急事態宣言発令となりました。2か月ちょっと前は、わたしも対岸の火事という余裕がありました。いつか来るとは思っていましたが、これほどのパンデミックとは想像できませんでした。

気になっていること。著名人などがコロナウイルスに感染すると、謝罪をしなければならないような風潮がありますね。

感染者をあやまらせるのはちがうと思います。誰も病気になりたくなるわけじゃない。予防したり気をつけていたって、これだけ感染しやすいウイルスなら、「その場にいる」だけでうつるんだから。うつそうとしてうつしている人だっていないでしょう。(たまたま陽性判定が一番だったからといって、その人が患者1号かどうかはわからない。「うつされた」と怒るけど、逆に「うつした」のかもしれない。たまたま検査が早かっただけで)

みんなそれぞれの事情で生きているのですから一方的に断罪できないですよね。人間は生物として弱いので、どこまでいっても「お互い様」でしか生きられない存在です。おなじ社会に生きている以上、いつどこでだれがなったとしても、それはたまたま(自分や他の人の)代わりにその人がなっただけ──そういう「立場の互換性」を今こそ意識していくほうがわたしは生きやすいです。

イギリスの取り組みを紹介したこの記事に感銘を受けて書きました。

考えて見れば、あらゆるものすべてを常に殺菌するわけにはいかない。どれほどソーシャル・ディスタンシング規定を守り、手を頻繁に洗っても、室内外のいずれかのものから感染する可能性がある。

 「新型コロナ感染症=誰がもかかりうるもの」だから、ソーシャル・ディスタンシング下での生活の知恵や感染した場合の状況など、お互いに情報を共有しながら、新型コロナウイルスの拡大を阻止する機運を作っていきたいものだ。

news.yahoo.co.jp

差別と新型肺炎

中国で流行が始まった新型コロナウイルスによる肺炎をきっかけに、世界各国で、アジア人差別が助長されているという報道を目にします。

日本国内では中国人への口さがない言説をSNSで見かけますし、日常会話でも「中国人の団体とすれ違うと緊張する」などと話す人がいます。それは民族差別なんですが言っている本人に差別の自覚がない。「差別ではない、ウィルス感染を避けるためだ」という意識でいるのでしょう。

各国での差別と日本国内での差別は、合わせ鏡になっていると思いませんか?

海外に出てわかることは、日本人と中国人で外見では区別がつかないのでアジア人(または「中国人」)と一緒くたに扱われるということ。差別偏見は、個人を見ずに属性で一律の扱いをするものだからです。

差別をする人、差別を許容する人は、「自分が差別される」ことも認めていると言わなければならないと思うんです。「ナントカ人に対する差別はOK」というわけにはいきません。自らが差別されたくないのなら、すべての差別を認めないと決意しなきゃならない。

何か事件を見聞きした時、ついつい属性(カテゴリー)で考えたくなりますが、そういうときは「合わせ鏡の向こう側をのぞき込む」努力が必要だと思います。

武汉加油武漢がんばって)

『マリー・アントワネットの日記』吉川トリコ 読了

傑作。泣いたーまさかの落涙RKRIーー。小説っていいなー。コレぜったい読んだ方がいいヤツ。。。(文体影響ウケまくりぃぃー)

来週1月26日(土)には、作者である吉川トリコ先生と直接お話しできるイベントが名古屋で開かれます。当然参加!

1月26日土曜日 午後4時半から6時半まで
予約:不要
トーク参加料: 1500円
会場:ぶくパル
〒460-0007 愛知県 名古屋市中区新栄2-2-19 2階
詳しくkwskは↓

www.facebook.com

 これから読む方へ。Amazonリンク貼っておくね☆

マリー・アントワネットの日記 Rose (新潮文庫nex)

マリー・アントワネットの日記 Rose (新潮文庫nex)

 

  

マリー・アントワネットの日記 Bleu (新潮文庫nex)

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やまいだれ

同病相憐れむ、というのは多くの場合ネガティブにとらえられますが。アラフィフにもなると同年代は誰しもどこかしら痛んできていて、久しぶりに会ったときには「病トーク」が一番盛り上がったりします。

病院の待合室でくりひろげられる「病気自慢」? あんなのホント意味ないよなーと思っていたけれど。自分が「病トーク」をしてみると、これがどうしてどうして、強烈なカタルシスが得られる。スッキリする。笑いすぎて涙がでるくらい。

何でかな? と考えた。それはふだんの生活・仕事では、「健康100%」であることが無意識の前提になっていて、痛いとか、めまいがするとか、苦しいとかいった内面は表出できないことになっている。「病トーク」はその抑圧をとりはらえる。実際に口に出してみると痛みがどれだけ自分の%を占めていたのか?と驚いたりする。

ぶっちゃけてみたらいいのかも。そして仲間の痛みにも耳を傾ける。「健康」ばかりじゃないよ。

僕らは降りていく過程の存在。暮れていくソラも美しい。

16年目のブログ記念日

カイパパ通信をlivedoor Blogからはてなブログへ引っ越して、1年が経ちました。頻繁に更新もしなかったし、特に大きく話題になるような記事も書かなかったけど。「15年間続けたブログが手元にある、いつでも書くことができる」ということが何よりも財産だと思います。
16年目もよろしくお願いします。

去年の今日書いた文より

新しいブログを始めるって、僕にとってはとっても年末年始らしい。14年前の今日、livedoorブログを始めた。あの時の感触を今も思い出せる。こわさとうれしさが半分半分。ドキドキわくわくしていた。
僕はブログを始めて人生が変わった。転職したとか、お金を儲けたとか「これがこうなった」という単純なできごと単位ではなく、人生の角度が変わったんだ。
最初は小さな方向転換が、大きなちがいを生み出した。
本当に、たくさんの人たちと知り合って、言葉を交わした。すごく仲良くなって、終生の友と呼べる仲間たちと出会った。気まずくなって、離れてしまった人のことも覚えている。
きっと僕が知らないところでも変化を及ぼしていたこともあるだろう。
そういう14年間だった。それぞれの人生で14年の時が流れたんだという事実に新鮮なおどろきを覚える。
ブログをやめなくてよかった。読んでくれたみんな、ありがとう。

 

kaipapa.hatenablog.com

イメージで、感覚過敏を想像する手がかり

soar-world.com


感覚過敏は当事者じゃないとわからないものですが、上の記事のように絵やイメージで表現されると、想像する手がかりができますね。
「まぶしい」ではなくて「「画面のむこうから、夜の工事現場の照明が自分に直撃している」感覚……
「チクチク」が「知らない人にずっと首をつかまれている」ような痛み……

感覚過敏は五感全てで過敏かというと(そういう人もいるが)、視覚が特に敏感だったり、触覚が過敏であったり、そこにもでこぼこがあるのですね。

たとえば漢字帳、英語ノートなど線が入ったノートが苦手で、学生のころは基本的に無地の自由帳を使用していました。蛍光ペンでラインを引いた文字、パソコンやスライドの画面にも苦手を感じています。

白い紙の色がまぶしくて苦手だ、という人もいますね。目をつきさす痛みがあるのかもしれません。

うちのカイも、服のタグが苦手で絶対に切ることを要求します。以前は自分で引きちぎっていましたが、最近はハサミを持ってきます。
言葉で表現ができない人であれば、様子から、まず感覚過敏の可能性を考えることが必要だとあらためて思いました。

NPO法人ぷるすあるはの仕事は、デザインがよいなあと前から思っていたのですが、こちらのチアキさんが描かれていたのですね。チアキさんはこの記事で感覚過敏を持つ当事者として取材を受けてらっしゃいます。私は、チアキさんの絵が好きだったんだなあ!というのがうれしい発見。

このダウンロード可能なツール集とか素晴らしいですよね。

kidsinfost.net

「NPOと編集」を読んで「NPO批判」について考えてみた

NPOと編集。

huurinntei.hatenablog.com

なるほど。この文章を読んで、近頃考えてきたことがつながった。

「NPOが会社と変わらなくなっている」*1とか「"支持"=資金、にするために、(あざといほどに)"感動"を奪い合っている」といった批判は当たっているところがあると思っている。*2

それよりもっと根源的な批判として、行政が公として取り組まないといけない課題を、NPOが個々に(狭い範囲で)解決してしまうことで、構造的な問題が覆い隠されてしまう*3(社会の課題がまるで「不運だった」個人への「施し」でなんとかなってしまうかのように)(それによって、課題は自己責任の枠にはめ込まれてしまう)(行政はNPOに甘えて「おまかせ」にしてしまう責任放棄が起きる*4と言われることがある。

だが、それがNPOの「罪」なのかと言ったらそうではない。

(引用1)
わたしたちNPOの活動は、社会の中のちょっとした違和感から始まります。世の中で「当たり前だ」「仕方がない」と思われているもの、「誰かが我慢すべきだ」「自己責任でしょ」と言われてきたもの。そうした言葉をそのまま受け入れることなく、「一部の人の問題」「個人の責任」は実は「社会の課題」なのではないかという問い直しをするのがNPOという存在であるはずです。

同時に「社会の課題」の解消・解決を図るという営みは、決して一人でできることではありません。人や組織をはじめとする様々な社会資源をつなぎ、役割分担をしながら、社会に新たな機能を生み出すこともNPOの大きな社会的な役割です。

そう思うと「NPOとは、一人ひとりの問題意識と目指す未来(理念)を軸にして、社会を再編集する存在である」と言い換えることもできそうです。

この文章で語られているように、NPOは社会の見えにくい課題を発見して、「ここに課題がある」とのろしをあげる存在だ。そして「課題がある」と指摘するだけに留まらず、自ら(できる範囲で)解決にトライしてみる存在だ。
行政*5が、まだ課題として認識していない、あるいは解決に取り組む手がかりを見つけていない時に、いち早く社会に対して知らせる役割を持つ、カナリアであり、開拓者である。

批判を受けるのは、NPOが「自己完結」してしまうときだろう。

「編集」は何のためか? 「外(他者)」へ届けるためだ。「読者」は外部にいる。外部に届けるのは何のためか? NPOだけでは解決できる範囲がごく限られているから、仲間を増やし、課題を社会化して、もっと広く平等に課題が解決される社会にしていくためだ。

冒頭に書いたキラキラNPOに対する批判が当たっているのは「自己の団体(と活動)のためだけ」に、支持を集めようとしている場合だ。
事業化や仕組み化は何のためか? 
自己の事業を拡大するためだとしたら、その仕組みは自団体の「強み」になるから、他団体(&行政)にはシェアしたくない。ビジネス的志向(思考)をすると、そうなる。支援している人びとが、自団体の「顧客」に見えてきたら、もう危ない。

「編集術」は手段なので、自団体のための「感動」を調達する目的に使うことができる。それはそれで強力に効果を発揮するだろう。だからこそ「目的は何か」を問い続けなければならない。

以下に、引用記事のラストの文章を引用しておく。とても重要なので。
「NPOとは、もともと<弱さ>から出発するものであった」ここがぶれなければ、迷ったとしても道を誤ることはないのではないか。

(引用2)
編集術はその相互コミュニケーションの方法であり、NPOの活動が生む価値を裏付ける実践的な技術です。

NPOとは、もともと<弱さ>から出発するものであったはずです。“常識”にかき消されてしまいそうな小さな声に耳を傾け、それをそのままにしてはおけないと思い、その小さなか細い声の中にこそ未来へのヒントがあると直感した“普通”の人たちが立ち上がったことが、多くのNPOの原点ではないでしょうか。

イシス編集学校の校長である松岡正剛氏は「弱さによって相互作用が生まれる」「弱さこそが真に過激なのである」(※)と言います。NPOでは、よく経営基盤や組織基盤の脆弱さが指摘されますが、その<弱さ>があるからこそ、多くの人々の力を借り、小さなできることを持ち寄り、それが地域や社会で新たなネットワークを形成し、誰かの居場所や役割を創ってきたという歴史があります。それは小さくとも、過激で鮮烈な出来事だったのではないでしょうか。そこから新たな経営基盤や組織基盤のあり方を生み出すのがNPOだと思うのです。

表層的な強さを求めることなく、<弱さ>からはじまる相互編集を目指して。NPOにこそ編集力が必要なのです。

 

*1:会社も社会課題を解決することで利益を得る存在であるので、社会課題を解決するのはNPOの専売特許ではないが、会社でできるなら会社でやればよいとも言える。

*2:「感動(共感)」の奪い合いは日本に限ったことではないようだ。たとえば、テロ・紛争解決活動家 永井陽右氏の連載コラム「共感にあらがえ」第3回加速する“共感の奪い合い” 国際協力の場で広報のプロが重宝されるワケ

今、共感を獲得すべく社会の様々な場所で競い合いが起きている。その争いは熾烈(しれつ)を極める。共感がある種の指向性を持ちやすい感情である以上、その限られたパイ(人々の関心)をどう獲得するかという構図になる。

*3:個別具体的に見れば、NPOの活動によって救われた人がいる。そのことは素晴らしい。限られた資源しか持たないNPOにすべての人を救えと要求するのは間違っている。だが一方で、他に同様の状況の人が取り残されていることを忘れさせる状況をNPOがつくりだしていないだろうか? それは人間の認知の仕組みのせいでもあるが、一つの好事例(美談)を聴くと、満足して他の未解決ケースに関心がいかなくなってしまう傾向がある。「素晴らしいNPOだ。あのNPOがあってよかった(めでたしめでたし)」で思考停止してしまう。個別のNPOにしてみれば「自分たちだからできた」と評価される方が、行政の委託も受けられるし、寄付も集まり、自団体の存続のためにはプラスになる。

*4:課題が残っているにもかかわらず、行政が責任放棄する手法の一つとして、議会からの追及に対し、好事例を答弁することで課題解決が進んでいるかのように、アリバイ的に見せる「編集術」がある。

*5:「行政」と書いたが、行政を動かすのは政治であり、NPOが働きかける先は、政治と行政双方である。それってNPOに限られない、民主主義の実践ってコト