やまいだれ
同病相憐れむ、というのは多くの場合ネガティブにとらえられますが。アラフィフにもなると同年代は誰しもどこかしら痛んできていて、久しぶりに会ったときには「病トーク」が一番盛り上がったりします。
病院の待合室でくりひろげられる「病気自慢」? あんなのホント意味ないよなーと思っていたけれど。自分が「病トーク」をしてみると、これがどうしてどうして、強烈なカタルシスが得られる。スッキリする。笑いすぎて涙がでるくらい。
何でかな? と考えた。それはふだんの生活・仕事では、「健康100%」であることが無意識の前提になっていて、痛いとか、めまいがするとか、苦しいとかいった内面は表出できないことになっている。「病トーク」はその抑圧をとりはらえる。実際に口に出してみると痛みがどれだけ自分の%を占めていたのか?と驚いたりする。
ぶっちゃけてみたらいいのかも。そして仲間の痛みにも耳を傾ける。「健康」ばかりじゃないよ。
僕らは降りていく過程の存在。暮れていくソラも美しい。