カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

来週の川崎医療福祉大学での講義の準備をしています。
カイの障害がわかった時に、自分が何を考えていたかを思い出すために昔の記事を再読しています。
「初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ」は、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルで最も多く読まれた記事です。今読んでも、わたしは同じことを言うだろうと思いました。大切な記事なので、新しいブログでも再掲載しておきます。

初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

(初掲載:2004年4月15日 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)

 私は4歳の男の子(知的障害を伴う自閉症)の父親です。わが子は2歳4ヶ月のときに、自閉症の診断を受けました。
 そのときの気持ちは、いくら時間が経って努力して事実を受けとめてきたとしても、文章で表現しきれるものではありません。私もまだ小さい子どもをかかえて、日々の悩みや憂いの中にいます。ですから、「アドバイス」めいたものは書けないのですが、私が苦しかったときに(今も)大切にしてきた5つの言葉を紹介します。
(2003年7月16日 カイパパ 記)

1 「今は喪中だから」

 診断の告知を受けたときに、私たちは混乱し深い悲しみに落ち込み、おぼれてしまいそうになってしまいました。
 その感情は、将来に対する不安と喪失感だったと思います。「しっかりしなくちゃ」と思うのだけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまい、仕事が手につかないくらいでした。また、妻の落ち込みも激しくとても心配でした。

 そんなときに、妻が言った言葉――「今は喪中だから悲しいだけ」。この言葉の意味は、「今は喪中だから悲しむだけ悲しむ。でも時間が経って喪があければ大丈夫だから」という前向きな意味が込められていると思いました。

「悲しいときはがんばらないでいいよ」と伝えたいです。悲しいときは悲しみにくれたらいいんです。仕事だって、休めばいい。子どもの障害は、それくらい重く大事なことなんですから。

2 全ては日常になっていく(日常の復元力)

 一番つらい時期に、つぶやいていた言葉です。「全ては日常になっていく」――この言葉は、恋愛などドラマチックな出来事もすぐに慣れて日常の退屈なものになってしまうというような意味で使われることが多いと思います。

 しかし、私はこの言葉は、強い「日常の復元力」を表現していると思いました。
 つまり、どれだけ大きな悲しみがあったとしても、腹は減るし、トイレにも行くし、夜は眠くなる。自分がどんな気持ちでいても世界は回り続ける…。
 永久に「悲劇の主人公」ではいられないんですね。いつの間にか、子どもの障害が所与のこと(初めから与えられたもの)と、自分自身の体と心がなじんでいくんです。

 今、悲しみのさなかにいるあなたには信じられないかもしれません。しかし、真実です。それくらい「日常」は強くて、私たちの生きる力も強いんです。「全ては日常になる」覚えておいていい言葉だと思います。

3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」

 考えてみてください。私たち、親は障害の確定診断を受けて、悲しいけれど、わが子はどうでしょうか? 診断の前後で、わが子が変わったわけではありません。診断によって、自閉症になったのではないのですから。

 そうだとしたら、一度冷静になって少し引いてわが子を眺めてみてください。より可愛く、いとおしく思えてきませんか。
 ハンディがあることは、生きづらく、大変なことが多いです。一番不利な立場に置かれているのは本人です。普通の子が1回で覚えることを、わが子は100回1000回やっても覚えられないかもしれない。でも、「それがどうした」と私は思います。できなくてもいい。この子なりのペースでやっていけばいい。足りないところは、支援してあげればよい。
 きっと、そんな気持ちに変わっていくと思います。

 自閉症とわかったことは、わが子を理解するためにとっても幸運なことです。なぜなら、障害特性を理解することで、これまで「育てにくく」感じていた理由がはっきりして、どうすればわが子にとって、わかりやすく、すごしやすくできるかの工夫ができるからです。
 超個性的なわが子が、最高の宝物だと心の底から思える日がきっと来ます。

4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」

 この言葉は、私の高校時代からの恩師からかけていただきました。

 多くの場合、障害がわかってから、そのことを誰にも話せず、夫婦だけでかかえこんでしまいがちです。私たちもそうでした。
「自分の親・兄弟にどうやって伝えたらいいのか」とても悩みました。どのように伝えるかについては、それぞれの関係によってさまざまですから一概には言えません。数ヶ月・数年かかることもよくあります。言えないのはあなただけではありません。そのことは知っておいてください。

 けれども、夫婦だけでかかえこんでいると「破綻」が来るおそれがあります。なぜなら、この子たちはとても「育てるのが大変な」子どもたちだからです。夫婦だけでは負担が重過ぎて、支えきれないのです。
 だから、いつの日か「カミングアウト」して、外に出て行きましょう。

 今はまだわからないかもしれないけれど、世の中には、本当に「この子たちの助けになりたい」と心から思っている人たちがたくさんいるのです。
 障害のあるなしに関わらず、子どもは「社会が育てるもの」です。
 だから、自分の両親、友達、同じ立場の親仲間たち、療育者、お医者さん、ボランティアさんなどなど、みんなが力を持ち寄ってこの子たち(そして私たち親たち)のしあわせを実現できたらいいですよね。

5「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」

 自閉の子と外出するのは大変です。「覚悟」がいります。ちょっと目を離したらいなくなるし、めったやたらと物を触ったり、超音波の奇声を発したり、電車で隣に座った人のメガネをとってしまったり……。
 そんなとき、何も知らない他人は「何? このしつけの悪い子は!」と白い目でこちらを見ることがあります(世の中には「白い目」というものが本当にあるんだと初めて知りました)。ツライですよね。もう他人がいる場所へは子どもを連れて行きたくないという気持ちになります。

 そんなときに、妻が「他人の偏見には鈍感に、他人の親切には敏感でいようと思う。そんなひとも障害を知らないからそうしちゃうだけだから。手を差し伸べてくれる人もいるから」と言いました。さすがに毎日四六時中子どもと一緒にすごしている母親の言葉はちがうなと思いました。

 父親は母親に比べて、子どもと過ごす時間が少ないので、なかなか根性が座らないところがあります。できるだけ奥さんの声に耳を傾けて、たとえばこういった「心構え」ひとつをとっても、共有しておくことは大切だと思います。

 私は、子どもの障害がわかってから、「人の情けのありがたさ」が骨身にしみるようになりました。世の中捨てたもんじゃないです。できるだけ、偏見は気にせずに、私たちはわらっていましょう。「笑う門には福来る」です。

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