嘔吐の効用 吐いてしまえばラクになる
嘔吐と同じだ。
踊ってしまえばなんとかなる。
秀逸なこの言葉に惹かれて記事を読んだ。
吐き気に襲われて一番苦しいのは「吐くかもしれない。どうしよう……」と抑えている時かもしれない。吐いてしまえば、意外とスッキリとする。
人は「隠している自分」が「真実の自分」だと思うらしい。他人に見せている自分とは異なる「自分だけが知っている自分」こそが本物であると。
隠していることが、嘘をついているように思えてきて、他人を欺いていることへの罪悪感まで強くなる。そうなると、嘔吐のような生理的な反応まで出てきてしまう。
一番言いにくいことが、実は自分の一番言いたいことや一番知ってもらいたいことだったりします。
これは別の記事で印象に残った言葉だ。
言いたいことを言えないでいることで、心がパンパンになってしまって、憂鬱が晴れなかったり、ここにいるのにここにちゃんといることができない感覚に襲われたり。
本当は、他人に見えている部分(外に出している言動)も隠している部分も含めて、全体として「自分」なのだから、見せていないことを恥じたりする必要はない。
なのに心にひっかかるのは「知って欲しい」気持ちがあるからなのだろう。
昔こんなことを書いた。
言葉にならず胸にうずまく思いは、見えない煙。
愚痴は黒い煙。
煙を出せば「あそこでくすぶっている愚か者がいる」と見つかってしまうが、それをおそれて吐き出さないでいたら窒息してしまう。愚痴を吐いて吐いて吐きまくって、煙が晴れてようやく自分がみえてくる。
かっこつけず、いい子ぶらずに、「愚痴が始まり」でもいいんだ。煙を出すには煙突がいる。
メンターは煙突。
煙突はただ「通す」。
煙が空に上がっていけるように。
言えないんだよね……本当に傷ついている心は。傷ついていることにすら気がつけていないから。