カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

わたしも環境をつくっている一部です

友人たちと近況報告をして気づいたこと。

  • 「やさしい人がいる」んじゃなくて「やさしくいられる環境がある」ということ。
  • 強いプレッシャーにさらされたパワハラ環境では、人はやさしくいられない。大切にされ守られている環境では、自然と周りの人を助けやさしくなれるのでしょう。

その気づきをもう一歩おしすすめて考えてみました。

「環境のせい」にするけど、「自分自身もハラッサー(ハラスメントをする人)として環境をつくる一部になっていた」事実もあるんですよね。それを自覚しないといけない。

そういうことはままあって、「環境」を批判しているとじぶんの立っている場所が見えなくなってしまう(見えなくしてしまう)。まるでじぶんだけはイノセントだ、みたいに。

こんなできごとがありました。

キリンが「午後の紅茶」の宣伝のため「こんな女子がいるよねー」というノリのイラストを公式Twitterで投稿し、「不快だ」という意見を受けて、謝罪して投稿を削除しました。

www.huffingtonpost.jp

わたしはこのできごとを、次のブログを読んで知りました。記事の要約*1

rainbowflag.hatenablog.com

記事では、キリンがこのような広告を採用したのは、既出の人気連載があったためではないかと仮説を示します。そして、その連載は執筆者が女性で、

「女子」自身による「女子」への突っ込みであり、構造的には一種の「自虐ネタ」 

になっている点を指摘します。

その上で、当事者による「自虐」が、エンパワメントの前に先立つ場合があると指摘します。

しかし、本当に傷つき、自己肯定感の微塵もない者にとっては、まずエンパワメントより、自分が傷ついていること、弱いこと、辛いこと、自分が自分で認められないこと「そのありのまま」を肯定する場、過程が絶対的に必要であり、「自虐」はそのような人たちの「受け皿」になっている。
これも「自己肯定」の過程のひとつに過ぎないのだが、疲れ果てている人にとって「エンパワメント」は眩しい。 

この「疲れ果てている人にとって「エンパワメント」は眩しい」という文にうなりました。*2

「自虐」が、当事者が傷つき、疲れ果てている状態から現れている表現だと気づかずに、

ある限られた文脈の中でしか受け入れられることがない当事者の表現を「自分がやってもいい」と軽く考えてしまったことが「キリン」の失敗だった。そして、意思決定過程に女性がいたとしても、仮に作家が女性だったとしても、そう考えてしまったことが批判を受ける「キリン」という企業の「男性性」なのだろう。

この指摘も、まさにそのとおりだと思いました。

で、ここに出てくる「男性性」という指摘が、胸に刺さるのです。

「男性性」というのは、キリンという企業に性別があるわけではないので、つまりはこの社会(環境)が男社会であって、その論理で回されていることをいっている。

その指摘を「そのとおりだ、けしからん」と息巻いてみても、男性であるわたしも環境をつくっている一部だということにヒヤリとするのです。
パワハラやセクハラを嘆いてみるときに感じる「うしろめたさ」は、いつもどこかで、被害者にたつより「ハラッサー」になる可能性が高いと思っているからではないか?*3

「男ですみません」と懺悔するのも違う……と思うのですが、じぶんの性をはじめ「環境をつくっている一部としての立ち位置」に無自覚でいてはいけないと思うのです。*4

*1:この記事は「自虐」とエンパワメントの関係を繊細に析出してくれています。そして、強者が「自虐」を触るとき、それはもう「自虐」ではなく、「いじめ」になってしまい、傷ついている心をさらに傷つけてしまうことを教えてくれました。

*2:当事者のエンパワメントの活動をする人に対して「意識が高い」と冷笑するひとたちが「意識が高い、だからダメだ」と必ずしも思っているわけではなくて「眩しくて、見てるのが辛い」という場合もあるのだと思います。

*3:そうだとすると、セクハラに対して過剰に反応している男性たちは、実は、「今の社会で、男性であること自体から生じる強制や暴力性」について、うすうす気がついているがゆえに反発しているのかもしれません。逆説的ですが、安易に「女性の味方です」とためらいなく言える人よりも、真に変われるチャンスに近いのかも。悪人正機的に。

*4:「だからなんだ?」という問いに対しての現時点の答え。「男だから」という固定観念(=気づけないくらい内面化している)があるから、暴力性を指摘された時に胸に刺さるのだろう。「実際に暴力への欲望がある」という自覚が大事。そうでないとコントロールができず暴発(他人を傷つける)するかもしれない。自覚→制御が御しがたい獣を内に飼っている者の責任だ。