かさぶたはいつか癒える?〜心の傷は放っておいても治らない
印象的な記事に出会いました。
引用します。
完了していない感情、心の傷は放っておいてもなくなりません。突然のことで、苦しみから一時的に逃れる、悲しみに暮れる暇なんてないときがありますが、そんなときは、いわば冷凍保存されます。放っておいても消えてなくなるわけではなく、解凍する機会を必要としているのです。
だから、周りの人の手を借りたり、迷惑をかけたりしながら、表に出して治癒の過程を進んでいきましょうという内容なんですが。
わたしは元ブログ「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」で、親の「昇華されない感情」=痛みの記憶について何度か語ってきました。
カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 痛みの記憶〜語ること
この記事では、親が子どもが生まれて障害がわかってどう感じたか、今の想いについて語るペアレントトークについて語りました。
こうままさんが、ある時、「傷は治っても、〈痛みの記憶〉は残っている」とお話されていて、ああそのとおりだなと思いました。
私が講演をしていた時、いつも感じていたのは、「せっかく固まったかさぶたを、思い出すことで、かき壊しているような気持ちがする」ことでした。
そこに「傷はない」のだけれど、「痛みの記憶」が残っている。
今は、元気に笑っていても、
一皮めくれば、苦しみや痛みはまだそこにある。
話すことは、「あの頃」のことを、追体験することですからね。
「伝えよう」と努力すればするほど、痛みがよみがえってくるものです。
人前で子どもの障害について話せるような親は、既にいろいろなことを乗り越えてきています。その過程で、とてもぶ厚い鎧(よろい)のような「かさぶた」を身につけてしまっています。それは見た目、強くてきらきらして輝いている頼もしい笑顔だったりします。
だけど、たいていは、がんばりすぎちゃっているんですよね。危うい。
この記事の続編で、「純粋なペアレンツ・トーク」という記事を書きました。
カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 純粋なペアレンツ・トーク
ここで伝えたかったことは、ペアレンツトークはいったい何のためにやるんだろう?ということです。
「こわれやすい、宝物(わが子)をあなた(支援者)の手に託すのです」
という、信じて、託す、捨て身な「願い」──
だから、受け取ってもらえず、拒絶されたとき、
誤解され、わらわれたとき、
何かが、砕け散ったような、衝撃を覚えるんだろうな。
結論。
この特別なメッセージは、あて先も特別な人のためであるべきなんじゃないかな、
と思う。
この子たちを、託す大切なあなたへ
わたしの思いは届いていますか?
親と同じ思いを持って、子に接してもらうことは本当に難しいことだけど、少しでも近づいて欲しいから、かさぶたをはがすような辛い思いをして、過去の記憶を蘇らせながら話すんだよね、と。
そして、カイが18歳になった今、わたしが思うことは、心の傷は放っておいても治らない、今までいろんな場所で多くの人と語り合ってきたこと、またブログなどで文章にしてきたことは、わたしにとっては治療だったんだなということです。
ひとりで心の中に隠しこんでおくよりも、外に出して、じぶんでも「目に見えるかたち」にしてみる。
そうすると、呪わしかった感情が、逆に「きれいだな」とか「つらくて泣いていたじぶんが愛おしい」と許せるようになる。
許せると、今度は再びその痛みの記憶を大切なものとして抱きしめ直すことができる。そんな気がします。
だから、「話をしよう。聴くよ」と言い合える安全な場があるといいなと思います。