カイパパ通信blog

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの方から来ました

知らなかった!! iPhoneだけでKindle本を音声で読める!

衝撃。シラナカッター!!!

iPhoneで、「設定>一般>アクセシビリティ>スピーチ>画面の読み上げ」をON
これだけで、Kindle本を音声で読める! 画面を二本指で上から下へスライドすれば読み上げが始まります。

やりかたは以下の引用記事をご覧ください。

soi24.net

引用記事では、iBooksは音声読み上げ「できない」とありますが、試したところ大丈夫でした。*1

あと、日経電子版も音声読み上げがすごく便利です。*2

Safariも読み上げ対応ですが、FacebookやTwitterはボタンや不可視情報の読み上げが多すぎて、ちょっとつらいです。

お試しください。

*1:hontoの電子書籍はダメでした。

*2:無機質な読み上げなのでニュース系に向いている。

映画「Journey to be continued -続きゆく旅ー」は傑作だった!

f:id:kaipapa2shin:20180208211616j:plain(c) 可児市国際交流協会

可児市国際交流協会が製作した本映画は、可児市、および周辺地域に住む外国につながる青少年たちの心情を映し出しています。

日本文化を持たない青少年の学校や社会での課題、サポートする協会 や教育者たちの葛藤、そしてこれから日本が向き合うべき多様な人々との共生のあり方について、様々な問いかけが生まれました。

美術家でありイミグレーション・ミュージアム東京の主宰でもある岩井成昭氏が岐阜県に滞在し、美術を用いた独自のアプローチで青少年と対話し、製作したドキュメンタリー映画です。

ドキュメンタリーというと登場人物に寄り添って、その人のドラマを追いかけるのが定番ですが、この映画はちがいます。映画としての「企み」に満ちたアート作品です。

この作品を観るであろう想定観客は、外国人の子どもや移民、多文化共生に関心があるひとたちでしょう。ですが、わたしは見終わってから、そういったテーマに関わりがない人にもぜひ観てほしいと強く思いました。

*以下は、いわゆる「ネタバレ」を含みます。白紙の状態で、事前情報はシャットアウトして観たいかたはご注意ください(わたしもそのクチです)。
ですが、映画評のおかげで、観るつもりがなかった作品を観ることもあるわけで。この映画は自主上映会でしか見られない映画です。この記事が、そういった上映会に足を運ぶ、さらには上映会を開く、そんなきっかけにつながればこんなにうれしいことはありません。

内なる風景と明晰な言葉

チャプター1「内なる風景」

可児市で暮らす16歳から22歳までの外国にルーツを持つ若者たちが、「自由に、なんでも描いていい」と言われて白いキャンバスの前に立つ。
キャンパスには、色とりどり様々なスタイルで「内なる風景」が描き出される。

彼女・彼らは、明晰に自分が描いた具象が表しているものを言葉にする。

「緑は希望。赤は悪いこと」
「青は気持ちいい、うれしい。赤は戦争、かなしみ」
「暗い色は昔の悪かった自分。黄色いドットは親からのアドバイス。その時はわからなかった。だんだんと明るい色、善悪の区別を学んだ今の自分。でもそこには黒いドット(失敗)が散らばっている」

筆だけではなく、手や足もつかう。動きのあるアクション・ペインティングだ。誰から習ったわけでもないだろうに。

わたしが好きだったのは、アレクサが描いたピンクの(たぶん桜の花びらがイメージされた)絵だ。最後に「愛」と描かれたことで背景となってしまったが「愛」を書き加える前の絵に感動した。

ハレーションする言葉たち

チャプター2では、彼ら彼女たちの肉声がコラージュされている。ものすごい情報量だ。
通常ドキュメンタリーでは、だれか主人公を設定して中心を定めて展開する。だが、この映画では特定の主人公はいない。
多くの若者(15名ぐらい)が登場するが、名前だけの紹介で国籍や滞在歴などのプロフィールは紹介されない。登場のしかたも、ランダムだ。だから、顔と声と言葉とそして描いた絵が断片的に印象に残る。

そして、膨大なことばは、相互に矛盾したメッセージを放つ。

・漢字がダメで学校はやめた
・嫌いでもイヤでも勉強はした方がいい
・頭の中がぐちゃぐちゃ。勉強してもふつうよりできない
・ポルトガル語を使ってはダメと言われた
・日本のルールに従うしかない
・「ちがう」からいじめやすい
・我慢すればいつか成果がでる
・高校に行かなくて後悔している
・いじめ、無視、死ね、名前をからかわれた
・先生に言っても「いつか治るよ」と何もしない
・自殺を考えた
・親は子どもが日本人とふれあう機会をふやすべき
・忙しくて親と話す時間がなかった
・日本人は親を大切にしない。ブラジル人は親を大切にする
・親と会話できていない。妹とも話していない。誰とも話していない
・家族はバラバラでもいい

それぞれ別の人がしゃべっているから矛盾していて当たり前なのだが、情報量に圧倒され、だれが何を言ったのかがわからなくなり、観る者の中で、ハレーションを起こす。
その結果、すべてのメッセージを包含した「ひとりの人格」がイメージとして立ち上がってくる。
この「矛盾」「混乱」「混沌」をすべて、今「ひとりの子ども」が体験してきているんじゃないか? どの外国ルーツの子どもであっても、共通して苦しんでいるものなんじゃないか? そう思わされる。

観た者の心に起きること

登場人物の誰かが「大変だったけど、乗り越えてここまで来た」と言えば、受けとめた側はそのひとりの成功事例をもって「よかった」と安心することができるだろう。

だが、この映画では一人ひとりの言葉がハレーションを起こし「ひとりの人格」が全てのメッセージを話しているような印象を与える。

わたしたちは「めでたしめでたし」と拍手して終わりにはできない。若者の「混乱」は今そこにある現実。受けとめたイメージを不安定な状態でジャグリングし続けるしかない。

ラストシーン、塗りつぶされるディストピア

ざわついた心を抱えて、映画のラストにたどり着く。

エリザが描いた絵が映し出される。
淡々とした声で説明される──

青は幼かった頃のしあわせな記憶。オレンジは日没。
赤は夜、悪いことはたいてい夜に起きる。人が人を傷つける。赤は血の色。
赤の中に描かれる人たちはみな黒く塗り込められている。表情はない。だれひとり信じ合えないから。
建物が燃えている。でもだれも助けようとしない。
中央に描かれた木には、美しい色が使われている。平和、宗教、太陽をあらわすシンボルが木の中にある。木は支配者を現し、支配者が美しいものを独占しているのだ……

なんというディストピアか。
人間が人間とつながれない、絶望の世界。それが少女が目に映るリアルなのだ。

カメラは絵が描かれた巨大なキャンパスを引きでとらえる。

キャンバスの前に突然、男が現れる。ビニールの服を着ている。非日常感。わたしは除染をする人を連想した。

彼は無言でエリザの絵を緑のペンキで塗りつぶし始めた(!)

「緑は、ブラジルでは希望=エスペランザの色」というナレーション。
キャンバスが、完全に緑一色に塗りつぶされて、映画は終わる。

単純に解釈すると、
「ディストピア(絶望の世界)を、「希望」で塗り替えよう」
という演出だろう。

だが、ハレーションする「混乱」を受けとめたわたしには、これがそんな単純なメッセージだとは思えなかった。

最初「このラストは暴力的だ」と感じた。

せっかく描かれた絵が抹消されたからだけじゃない。彼女の心が描いたディストピアを、他人が勝手に「希望」で塗りつぶしてしまっていいのか? これは暴力だという憤りだった。

後味の悪さが残り、なぜこのラストを映画の最後に置いたのかを考えさせられた。

こういうことかもしれない〜映画の企み

「映画が終わって、よかったよかったと言い合いたいんでしょ? でもそれって若者が真剣に描いた(発した)絵(メッセージ)を、「希望」とかいうふんわりしたよさげなものでおおい隠し、見えなくしまう行為とおなじだよ」

ラストシーンは、自分が安心するため、他人の苦難を美談に仕立て上げ、真の課題に蓋をする無責任なわたしたち(映画制作者も含む)へのメタ批判になっているのではないか?

外国人の子どもが自由に描く
アート
キャンバスの前で心のうちを語り出す

こういう映画だから。いくらでも美しくつくりこみ、心を揺さぶり、共感を生み出すことはできる。制作者はそういうアプローチを選ばなかった。

ナマの言葉をコラージュし、個人ではなく集合体としての「ひとりの人格」をつくりだした。

その子は混乱と混沌を抱え、いまこの瞬間を苦しみ続けている。

ラストシーンでは、「希望」によってディストピアが消滅する(表面的には)。

そのシーンは暴力的で、異様な印象を残し、観る者の心を攪乱し、予定調和を許さない。

見終わってから、わたしはずっと考え続けている。

こんなすごい映画でした。

 

以上。

マニアックな作品解釈なので、「カイパパ、どんだけひねくれているんだ!?」と思う方もいらっしゃるでしょう。そんな方こそ、ぜひ観ていただきたいです。対話しましょう!

 【2018年2月11日追記】

上映会のやり方、料金表について追加記事を書きました。

kaipapa.hatenablog.com

国が発達障害当事者や家族同士の交流を応援。そこで思うのが「親の会」の存在意義とは?

www.jiji.com

(引用)
事業では、発達障害者本人や家族同士のピアサポートの場づくり▽発達障害の子どもを育てた経験を踏まえて相談に乗る親「ペアレントメンター」の養成やその活動支援▽子どもの成長に関する保護者向けの講座実施-などに取り組む自治体を支援する。 

基本的には、もちろん良いことです。
特に当事者のピアサポートは、親の会でもできているところは少ないです。当事者のピアサポートには、コーディネーターの存在が重要だと思います(必須ではない)。自治体が、コーディネーターを見つけて、場づくり(最初の一歩となるだけでも素晴らしいこと)をしてもらえるとよいですね。

個人的には、親の会の会員数減(そもそも若い親たちは入会しない)→担い手が減り、活動が活発でなくなり→存在意義が薄れていく現状と照らし合わせて、複雑な思いがあります。
互助では立ちゆかなくなっていき、公助頼みになるしかないのかな……。
もう、親の会って必要ないんでしょうか? みなさんはどう思われますか?

成年後見を利用し始めると有無を言わせず一律で職業から排除される「欠格条項」の法改正がついに実現しそうです

this.kiji.is

ついに、欠格条項が削除される見込みです。

現状は、たとえば公務員について言うと、知的障害者が成年後見制度を利用している場合には「公務員に就くための資格がない」として受験すらできません。また、公務員として働いているひとが成年後見制度を利用し始めたら、有無を言わせず失職となります。これは法律で決まっているので、裁量の余地がなく職を失います。*1

成年後見制度を利用しているかたでも個人個人の状態像は異なります。一律の扱いは雑すぎて、権利を制限しすぎているのです。
この欠格条項があるために、本当は成年後見制度を利用したいのに利用できない人もいます。

権利擁護のいの一番に改正が必要だった条項です。本当に改正されるか注目したいと思います。

改正に向けて、内閣府設置の成年後見制度医療促進委員会で2017年9月以降に議論されています。

成年後見制度利用促進委員会 - 内閣府

 

*1:公務員以外にも数多くの職業・資格について同様の欠格条項が定められています。

「成年後見になると仕事ができない?」 | 広島メープル法律事務所

がわかりやすいです。

子どもが大人になってからの絶望は本物の絶望なんだ。だからといって殺していいわけがない……

www.chunichi.co.jp

ニュースの続報では、殺された長男は重い自閉症で、通所施設に通っていたが他の利用者に暴力を振るうという理由で2年前から通所を辞めて自宅にいた。家族に対する暴力もあり、入所施設を探したが見つからず……思いあまっての犯行のようです。

 

子どもが小さいころの絶望と大人になってからの絶望
子どものうちは、それでも多くの支援資源があるのです。
大人になってからは「こうなったのはあなたの責任です」と平気で見放す人びとがいる。大人になってからの時間の方がはるかに長いのに……

 

遠い世界の話ではない。すぐ隣り合わせにわたしたちもいる。

だからこそ

自戒を込めて言う。

絶望したからと言って、殺していいわけがない。
生きたいと叫んでいる命を、奪う権利は親にも、誰にもない。
殺すぐらいなら放り出せ。親と子は別々の命。
この世から命を消してしまう、そんな「親の責任感」なんていらないんだ。

 

高橋源一郎『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』はキヨミヤくんの章だけは必読だと思う

高橋源一郎『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』読了。
以前キヨミヤくんの章を「すばる」連載中にたまたま読んで、これは傑作になる予感がして、完成したら読みたいと待望していた。

新書で出ているけど正真正銘の小説です。思考実験のようでいて、説話のような、おとぎ話、子ども向け冒険譚。いろいろな読み方ができる。実に魅力的で面白く読んだ。途中までは。

@アイと雪の女王が出てきたあたりから、アレ……?と思って、やはりそういう展開になっていった。

作者はこの小説を21世紀の「君たちはどう生きるか」にしようと思って書いたというが、残念ながら、遠く及ばない。

でも、「10 キヨミヤくんのこと」(p.91-104)の章は、珠玉なので読んで欲しい。一人の少年のモノローグが胸を貫く。
全体が「おとぎ話ですよ」というトーンで進むこの小説世界の中で、生(なま)がのぞく瞬間。同時代の、格差・不平等への告発文。「なぜ自分は、自分たちは、排除され続けるのか」

キヨミヤくんだけが、この小説の登場人物の中で、ユートピア的な学校・家庭・「くに」からハブられた外部的存在だからだろう。シングルマザーとその子である自分を「負け組」と自認するキヨミヤくんが、ユートピアの中にいる主人公を外側から照射している。
評価に困るが、優れた小説にはこういうことがある。たった13ページだが、ずっと何年も心に残り、うずきつづける予感がする。

 

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた (集英社新書)

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた (集英社新書)

 

 

カイの写真に見とれて、準備がはかどりません!!!

kaipapa.hatenablog.com

こんな記事を書いて、高らかに「親バカ宣言」をしたんですが、カイの写真に見とれて、肝心の自己紹介の準備がはかどりません!

だって……

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じっ…

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そぉ…

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やった!

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見つかっちゃった…

こんなんですよーー! たまらん。

Beutiful Boyがカイのテーマソングだと思うわたしはどこから見ても立派な親バカ

川崎医療福祉大学での自閉症特別講座がいよいよ明日です。レジメは既に送付済みなので安心だと思っていましたが、自己紹介の準備がまだだったと気がつきました。

今回いただいたテーマが「育っていく家族、家族からの支援者へのメッセージ」なので、話す内容よりも「だれが」話すかの方が重要かも? 
多少はじぶんの紹介も必要ですよね。
カイパパはカイあっての存在なので、カイの紹介もしようと思い、昔の写真アルバムをひっぱりだして眺めています(←今ココ)。

はあ…

ため息が出るほど可愛い。写真はいいなあ、止まっているから。あんなに大変だったことは映り込んでいないし。

わたしはビートルズが好きで、なかでもジョン・レノンのファンです。カイの写真を見ていて心のなかで流れてきたのはジョンが息子ショーンのことを歌ったこの曲。


Beautiful Boy (Darling Boy) - John Lennon

こわいおばけはいってしまったよ
ここにパパがいるから大丈夫

と歌う。やさしくやさしく息子に語りかける。

このBeautiful Boyが、カイのテーマソングだと思うわたしはどこから見ても立派な親バカです。

親バカで、子どもは育つ! これは持論なので、全然恥ずかしくないゾ。

初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

来週の川崎医療福祉大学での講義の準備をしています。
カイの障害がわかった時に、自分が何を考えていたかを思い出すために昔の記事を再読しています。
「初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ」は、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルで最も多く読まれた記事です。今読んでも、わたしは同じことを言うだろうと思いました。大切な記事なので、新しいブログでも再掲載しておきます。

初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

(初掲載:2004年4月15日 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)

 私は4歳の男の子(知的障害を伴う自閉症)の父親です。わが子は2歳4ヶ月のときに、自閉症の診断を受けました。
 そのときの気持ちは、いくら時間が経って努力して事実を受けとめてきたとしても、文章で表現しきれるものではありません。私もまだ小さい子どもをかかえて、日々の悩みや憂いの中にいます。ですから、「アドバイス」めいたものは書けないのですが、私が苦しかったときに(今も)大切にしてきた5つの言葉を紹介します。
(2003年7月16日 カイパパ 記)

1 「今は喪中だから」

 診断の告知を受けたときに、私たちは混乱し深い悲しみに落ち込み、おぼれてしまいそうになってしまいました。
 その感情は、将来に対する不安と喪失感だったと思います。「しっかりしなくちゃ」と思うのだけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまい、仕事が手につかないくらいでした。また、妻の落ち込みも激しくとても心配でした。

 そんなときに、妻が言った言葉――「今は喪中だから悲しいだけ」。この言葉の意味は、「今は喪中だから悲しむだけ悲しむ。でも時間が経って喪があければ大丈夫だから」という前向きな意味が込められていると思いました。

「悲しいときはがんばらないでいいよ」と伝えたいです。悲しいときは悲しみにくれたらいいんです。仕事だって、休めばいい。子どもの障害は、それくらい重く大事なことなんですから。

2 全ては日常になっていく(日常の復元力)

 一番つらい時期に、つぶやいていた言葉です。「全ては日常になっていく」――この言葉は、恋愛などドラマチックな出来事もすぐに慣れて日常の退屈なものになってしまうというような意味で使われることが多いと思います。

 しかし、私はこの言葉は、強い「日常の復元力」を表現していると思いました。
 つまり、どれだけ大きな悲しみがあったとしても、腹は減るし、トイレにも行くし、夜は眠くなる。自分がどんな気持ちでいても世界は回り続ける…。
 永久に「悲劇の主人公」ではいられないんですね。いつの間にか、子どもの障害が所与のこと(初めから与えられたもの)と、自分自身の体と心がなじんでいくんです。

 今、悲しみのさなかにいるあなたには信じられないかもしれません。しかし、真実です。それくらい「日常」は強くて、私たちの生きる力も強いんです。「全ては日常になる」覚えておいていい言葉だと思います。

3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」

 考えてみてください。私たち、親は障害の確定診断を受けて、悲しいけれど、わが子はどうでしょうか? 診断の前後で、わが子が変わったわけではありません。診断によって、自閉症になったのではないのですから。

 そうだとしたら、一度冷静になって少し引いてわが子を眺めてみてください。より可愛く、いとおしく思えてきませんか。
 ハンディがあることは、生きづらく、大変なことが多いです。一番不利な立場に置かれているのは本人です。普通の子が1回で覚えることを、わが子は100回1000回やっても覚えられないかもしれない。でも、「それがどうした」と私は思います。できなくてもいい。この子なりのペースでやっていけばいい。足りないところは、支援してあげればよい。
 きっと、そんな気持ちに変わっていくと思います。

 自閉症とわかったことは、わが子を理解するためにとっても幸運なことです。なぜなら、障害特性を理解することで、これまで「育てにくく」感じていた理由がはっきりして、どうすればわが子にとって、わかりやすく、すごしやすくできるかの工夫ができるからです。
 超個性的なわが子が、最高の宝物だと心の底から思える日がきっと来ます。

4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」

 この言葉は、私の高校時代からの恩師からかけていただきました。

 多くの場合、障害がわかってから、そのことを誰にも話せず、夫婦だけでかかえこんでしまいがちです。私たちもそうでした。
「自分の親・兄弟にどうやって伝えたらいいのか」とても悩みました。どのように伝えるかについては、それぞれの関係によってさまざまですから一概には言えません。数ヶ月・数年かかることもよくあります。言えないのはあなただけではありません。そのことは知っておいてください。

 けれども、夫婦だけでかかえこんでいると「破綻」が来るおそれがあります。なぜなら、この子たちはとても「育てるのが大変な」子どもたちだからです。夫婦だけでは負担が重過ぎて、支えきれないのです。
 だから、いつの日か「カミングアウト」して、外に出て行きましょう。

 今はまだわからないかもしれないけれど、世の中には、本当に「この子たちの助けになりたい」と心から思っている人たちがたくさんいるのです。
 障害のあるなしに関わらず、子どもは「社会が育てるもの」です。
 だから、自分の両親、友達、同じ立場の親仲間たち、療育者、お医者さん、ボランティアさんなどなど、みんなが力を持ち寄ってこの子たち(そして私たち親たち)のしあわせを実現できたらいいですよね。

5「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」

 自閉の子と外出するのは大変です。「覚悟」がいります。ちょっと目を離したらいなくなるし、めったやたらと物を触ったり、超音波の奇声を発したり、電車で隣に座った人のメガネをとってしまったり……。
 そんなとき、何も知らない他人は「何? このしつけの悪い子は!」と白い目でこちらを見ることがあります(世の中には「白い目」というものが本当にあるんだと初めて知りました)。ツライですよね。もう他人がいる場所へは子どもを連れて行きたくないという気持ちになります。

 そんなときに、妻が「他人の偏見には鈍感に、他人の親切には敏感でいようと思う。そんなひとも障害を知らないからそうしちゃうだけだから。手を差し伸べてくれる人もいるから」と言いました。さすがに毎日四六時中子どもと一緒にすごしている母親の言葉はちがうなと思いました。

 父親は母親に比べて、子どもと過ごす時間が少ないので、なかなか根性が座らないところがあります。できるだけ奥さんの声に耳を傾けて、たとえばこういった「心構え」ひとつをとっても、共有しておくことは大切だと思います。

 私は、子どもの障害がわかってから、「人の情けのありがたさ」が骨身にしみるようになりました。世の中捨てたもんじゃないです。できるだけ、偏見は気にせずに、私たちはわらっていましょう。「笑う門には福来る」です。

印刷用PDF

MacBookも充電できるAnker PowerCore Fusion 5000は買って大正解!

年末に買ったAnkerのPowerCore Fusion 5000が、便利で優秀でサイコー!です。

この白いカタマリがPowerCore Fusionです。要はモバイルバッテリーです。写真ではMacBookIPad Proを同時に充電しています。
2台同時に充電できるだけでも便利なんですが、お気づきになったと思いますが、バッテリーからコンセントが出ていますよね。

コンセントから充電できる充電器とモバイルバッテリーを兼ねているんです。つまり、コンセントにつないだ状態でIPhoneなどを充電することができ、IPhone本体の充電が完了したら「モバイルバッテリーである自分」も充電するという仕組みになっています。

特に出張が多いひとにおすすめです。充電器とモバイルバッテリーを2つ(+MacのACアダプター)持っていく必要がなく、Anker PowerCore Fusionひとつ持っていけばOK! 寝ている間にiPhoneMacの両方を充電して、モバイルバッテリーの充電もできてしまいます。

Amazonの購入ページはこちら。色違いの黒のほうがなぜか少しお安いです。

*わたしが購入の参考にした記事です。給電アンペア数も紹介しています。

www.qoochan.com

 

 

 

勝間和代さんが音声入力をやたらと推してくる

はてなブログに引っ越してくる直接的なきっかけとなった勝間和代さんのブログを毎回楽しみに読んでいる。(ブログタイトルのとおり「徹底的にマニアック」でいい)

katsumakazuyo.hatenablog.com

勝間和代さんが音声入力をやたらと推してくるので、僕も音声入力をもっと活用してみようと思った。

音声入力を活用するためには、「考えながらキーボードを打ち、推敲しながら文章つくる」これまでのプロセスから、少し考え方を変えたほうがよさそうだ。

  • 思ったことを、とりあえずメモ代わりに音声入力をする。
  • 読み返しながら推敲してキーボードで仕上げる。

このやり方なら音声入力の威力を発揮できる。

勝間さんは

「これまで頭の中の文章をキーボードで打っているうちに消えてしまったものが、消えないまま文章として残るので、私にとっては逆にとても楽になりました」 

と言う。音声入力は入力スピードが速いことに加え、ぬけ落ちてしまうものをすくい上げる効用があるということだ。

チャットみたいに打ち込んだ内容がそのまますぐに相手に届く仕様だと困ってしまうが、ブログを書く場合なら、まず音声入力で草稿をつくり、その後キーボードでじっくり推敲することができる。

これまでIPhoneやiPadでは音声入力を使ったことはあったが、Macでは活用したことがなかった。
今Macで音声入力をしてこの記事を書いているが、音声入力したあと、音声入力を有効にしたままキーボード入力をすることができる。これが意外なほど便利。

iPhoneだと音声入力の誤変換など入力を直したいところが出てきた時に修正をすることがめんどくさい。だが、キーボードが最初からついているMacであれば音声入力したすぐあとに、キーボードで直すことができる。これが気持ちがいい! いちいち音声入力をオフにしてキーボードを表示する必要がないのだ。

音声入力を有効にしてそのまま話し続け、キーボードで直し続け、また音声で文章を加える。このシームレスさが心地よい。この記事もそうやって書いた。

これからもっと音声入力を活用して、心地よい方法を追求していきたい。

セレブが「わが子は自閉症だ」とカミングアウトしてくれたらいいのに、と思っていた。

昔、発達障害者支援法がまだなかった頃だから、10年以上前の話です。
わたしは「どうしたら自閉症をもっと一般の人に知って理解してもらえるか?」を考えていました。今よりずっと切実に。
ブログを始めたのも、もっと理解者を増やしたいと思ったことが一番の理由でした。
カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルのコンセプトは、当初から、

「自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界」を紹介して、勇気と知恵を与え合う。
 →家族が少しでも楽になって
  →サポーターが1人でも増えて
   →「自閉症でOK!」の地域になり
    →本人の笑顔が増えるといいな!

というものでした。

ある日「自閉症の子どもは世界中で、どの人種にも、どの社会階層にも生まれる」と本で読みました。
そうだよな。だれもが、自閉症に生まれる可能性があって、だれもが、自閉症の子どもを持つ親になる可能性がある。だったら、きっと有名人の中にも、自閉症の子どもを持つ親がいるはずだ。そのセレブが、

「わたしの子どもは自閉症なんです」

とカミングアウト*1してくれたら、一気に自閉症への理解が広がるのに! と思ったんです。

あなたは、そう思ったことはありませんか?

わたしは、その思いつきを友人に話しました。

「日本では無理かもしれないけど、障害理解が進んでいる海外ならカミングアウトも普通かもしれないよね」
「それはどうかな? 障害があるとわかったら、誘拐とかレイプとか子どもが傷つけられるリスクが上がってしまうよ」

友人は、海外の有名人は子どもの誘拐を警戒してボディーガードを雇っていると聞いたことがあると言いました。それは障害がなくてもそうだと。

言われてみれば、たしかにそうですよね……
だまされてしまって危険に気づくのが遅れる、助けを呼ぶことができないなど、障害があるがゆえに身を守る力が弱いということがあります。
ただでさえ様々な危険にさらされている有名人が、あえてわが子の危険を招く言動を避けるのは当然のことです。

そう理解した後でも、わたしは、しばらくセレブにカミングアウトしてほしいという思いを捨て去ることはできないでいました。

今となっては、その態度を恥じています。

それは、
自分はリスクを負うことなく、他人にリスクをおかすことを求める姿勢だから。
そして、この姿勢は、自己の目的のために、他人を「道具」として使おうとしている
と気がついたからです。

別に、セレブのお子さんと家族が幸せになってほしいからでもなく、ただ、自閉症の理解を広げるためにカミングアウトしてほしいと願っただけ……
これは恥ずべきことです。

昔にくらべて、子どもの障害をオープンにする有名人がずいぶんと増えました。
おなじ親として、ありがたいことだと思いつつ、胸がちくりと痛むのです。

*1:カミングアウトは「自らのことを他人に明らかにする」という意味なので、別人格である子どもの障害を告白することを「カミングアウト」と称すること自体が問題性を含んでいる。このことについては別記事で書きたい。

自閉症の人にわかりやすいのはどっち?「壁の対応とドアの対応」

年末年始のお休みは、カイとたくさんお出かけしました。今日は名古屋港水族館へ。
寒くなくて、年末年始開館している水族館はありがたいスポットです。小さい時から大みそかに水族館に行くのが毎年の恒例になっていますが、今回はカイのリクエストで1月3日になりました。

水族館でのカイのお気に入りは、魚ではなくて実は映画です。昔は5分と持ちませんでしたが、今は最後まで観ます。セリフがわからなくても、自然をテーマにしたコンテンツは映像に迫力があって楽しめるのでしょう。
今日は「皇帝ペンギン」を観ました。南極での過酷な子育て。親とはぐれた子ペンギンが父親と再会するシーンでは感動して泣きそうになりました。

昔に比べて、カイの活動リクエストが明確になってきました。出かける前にスケジュールの交渉をするのですが、こちらの提示で気に入らなければ頑として受け入れません。今まで経験したことがない新しい提示は、ほとんどが「イラナイ」と断られます。

思い出したのは、昔、親であり支援者であるウォーリーさんから聞いた「壁の対応とドアの対応」の話。

「壁」は動かない。=決まったことを決まったとおりの対応をする。
「ドア」は開いたり閉まったりする。=状況に応じて対応が変わる。
ある場面において、時に、開いたり、時に、閉まったりする対応は、本人を混乱させてしまう。

自閉症の特性をもつ人は一度、学習してしまったら、それを上書きする修正がとても困難です。だから、最初の経験がとても重要です。

「壁」でなければならないときは、たとえ、そこで妥協したほうがラクな場合であっても動じないことが必要。すごくキツイこともあるけれど…。

背の高さも同じくらいになってきました。

ウォーリーさんとの話はこの記事に書きました。

カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 支援者ウォーリー

 

川崎医療福祉大学で「自閉症特別講座」の講師をつとめます。

2018年1月15日に、倉敷市にある川崎医療福祉大学の「自閉症特別講座*1」で講師をつとめることになりました。この講座は平成14年度から当時教授をなさっていた佐々木正美先生を中心として開講されたものです。
・川崎医療福祉大学:「平成29年度自閉症特別講座」

佐々木正美先生は、わたしたち自閉症の人と家族の恩人です。わたしは生前に4回ほどお話をさせていただいたことがあるのですが、いつもとてもやさしく、カイのことや家族の近況を聞いてくださいました。
1年前に諏訪利明先生から講師のご依頼を受けた時に「諏訪先生のたのみとあれば」とお引き受けをしたのですが、昨年、佐々木先生がお亡くなりになられて……。今回、先生ゆかりの講座でお話しをさせていただけることは、恩返しする機会を与えていただけたと感じてます。

これをみると、そうそうたる講師の方々がならぶ中で、気後れしますが…。
・平成29年度川崎医療福祉大学 自閉症特別講座スケジュール(PDF)

わたしに与えられたテーマは「育っていく家族、家族からの支援者へのメッセージ」です。
昔からあって、決してなくならないテーマです。過去にわたしも「親の思い」をお話ししたことがあります。
ただ、特別講座に自ら受講しようとするような熱心な専門家は、既にこれまでにこのテーマで話を聞いたり、学んだりしているのではないでしょうか? 伝え方をくふうしたいと思っています。

このブログにプロセスを書き留めながら、講座の準備をできたらと考えています。(ああ、もう、すぐですね!)

*1:自閉症特別講座は受講生限定の講座であり、一般公開はありません。